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『『2001年宇宙の旅』講義』
 書名の中に書名が入ってる場合の括弧の使い方はどういうんが正しいんだろう……
 それはさてき、うーん、確か第一章を立ち読みして面白そうだなと思って買ったんだけど、どうにもすっきりしなかった。面白いんだけど、なんかこう、食い足んない感とか肩透かし感とか……。ラストの辺りはすごい面白かったんだけどね。

 もうちょっと細かくは以下の点。
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| 学術・教養的な本 | 16:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
『ファンタジーRPG100の常識』
 結構面白かった。ただちょっとした不満として、こういう知識を披露するようなもの(いや、ただ披露するのが著者の目的じゃないでしょうけど)は、どうせ鼻につく面があるんだから、だったらもっとつっこむなり参考文献をたくさん挙げてくれるといいなーとか思った。まあ挙がってる本だけでも、そこからどんどん入ってけるとも思うけどね。
 あと、どうでもいいっちゃいいんだけど、この本と同時に『流行り神』っていうPS2のゲームと、『空の境界』を読んでて、ちょっと前に『科学とオカルト』って本をつまみ読みしてたんで、どれがどれで得た知識なのかごちゃごちゃになってます。

 具体的に面白かったところをいくつか。
 騎士の戦争の参加の仕方はバラバラ。各人が武勲を上げたいから、ぜんぜん統制なんてものはなかったとか(P.48など)。
 中世の商人達が運ぶ商品は、軽くて高価なぜいたく品が主。命がけだしね(P.64〜)。
 酒場の話がすごく面白かった。大学の師事してた先生が言ってたんだけど、ヨーロッパのカフェ(カフェつっても普通にアルコールも飲むような感じなんで、パブでもバーでもいいんだろうけど)ってのは結構雰囲気が明るいそうで、詳しく知らないんだけど、公共圏の議論のときなんかによくカフェの話が持ち出されるぐらい、「国の空間」という意味でなく「みんなの空間」という意味での公の場所として、カフェが機能してるとかなんとか。で、この本ではRPG世界の酒場もこういう風に捉えてみてはどうか、という話。これはなかなか面白いなあ。単に荒くれものが集まる場所じゃなくて老若男女が息抜きにくる場所かー、と(P.208〜)。
 野宿は、寝る時間の気温差、換気、地面から上がってくる湿気に注意しなくちゃらしい。みっつめの湿気ってのはぜんぜん知らなくて面白かった。木の葉なんかを敷くといいらしい(P.231)。

JUGEMテーマ:読書
| 学術・教養的な本 | 12:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
☆『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化』
一九七〇年前後まで、教養主義はキャンパスの規範文化であった。それは、そのまま社会人になったあとまで、常識としてゆきわたっていた。人格形成や社会改良のための読書による教養主義は、なぜ学生たちを魅了したのだろうか。本書は、大正時代の旧制高校を発祥地として、その後の半世紀間、日本の大学に君臨した教養主義と教養主義者の輝ける実態と、その後の没落過程に光を当てる試みである。
 面白かったです。特に後半部分は個人的な体験や感覚とダブって盛り上がったりして。教養についての教養が得られると思うしオススメです。

 んじゃ、面白かったところを適当に。
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| 学術・教養的な本 | 16:12 | comments(2) | trackbacks(0) |
『中世の食卓から』
評価:
石井 美樹子
筑摩書房
---
(1997-08)
 食べるという行為は、精神のありように深くかかわっている。文学に描かれた食卓の話や、食物に係わる伝承をたぐることで、思わぬ文化の層が見えてくる。中世ヨーロッパの食卓に広がる宇宙を描くエッセイ。
 中世文化論の本です。食文化から中世史を読むという感じで、まあなんというか中世史がまったくわからなくて、この辺ってどういう本を読むべきなんでしょう。もういっそ教科書なのかなあ。

 一章一章がかなり短くさくっとしてて、それでいてゆるやかに各章が連結してて、書き方も簡潔、とても読みやすい本です。史実を知らなくても、食べ物に関しては繰り返し語ってくれるので少しは覚えられました。

 へえーって思ったところのメモ。

・イギリスとフランスの確執について(「豚と王子様と惣菜屋」P.34〜)。フランスのカペー王朝のフィリップ王子は乗馬中、突如現れた雌豚のせいで落馬して死んでしまった。弟のルイは修道院で育てられていて、父王は彼の花嫁としてアキテーヌ公爵家のエレアノールを選ぶが、ルイの優男ぶりに嫌気がさすとか何とかでイギリスのアンジェー家のヘンリーのもとへ走ってしまう。超金持ちのアキテーヌ家の資産が移ったことで勢力図が大幅に塗り替えられたそうな。
 きっかけの豚は、十二世紀のパリではおよそ半分の世帯が豚を飼っていたらしい。理由はゴミを食べてくれる上に、最終的には食べさせてくれるということから。フィリップ王子の事件後、街中どころか城壁のすぐ外でも豚を飼ってはいけないという法ができたものの、駆逐活動は十六世紀になっても行われていたとか。
 しょうがないので市場で肉を買わなきゃならなくなって、腐った肉が以前より出回るようになる。そのせいというかおかげというかで、スパイス(スパイスといっても、こしょうみたいなのだけじゃなくて、にんにくとか米や干し果物なんかもスパイスと言ったらしい)と加工肉の需要が高まる。街の通りなんかに店が出て、今のファーストフードみたいな感じだったらしい。肉質に安心できないので、旅には同行する料理人が重宝されたとか。この料理人が同行するってのは、疑似中世が舞台になることが多いファンタジーの妄想好きとしてはいいなあと思う。

・中世の貴族の食費は全収入の1/3〜2/3とかになったらしい。理由は「領主の食べ物を臣下に分け与えることは、地位と富を誇示することにほかならず、人民を収めるうえでのもっとも重要な政策であった」(P.45)から。「十四世紀中期以降になると、領主は別室で食べるようになる。だか、それまでは[…]召使いたちは、領主と同じ物を食べることにより、自分たちがまともに扱われていることを知り安心し、主人に忠誠をつくしたのである。」(P.46)あと、肉を切り分けるのは貴族の子弟とかのたしなみ的なものだったそう。こういうのもいいなあ。

・中世ではよほどの金持ちでない限り、食事は一日二回で朝食はなかった。「サパーから翌日のディナーまでの、長い空腹の時間を、中世人は食断ち、つまりファーストと呼んだ。「朝食」にあたるブレックファースト(breakfast)は、ファースト(fast)、つまり食断ちをブレイク(break)する(やめる)ことで、一日の最初の食事を意味した。」(P.199-200)サパーってのは今の夕食だけど軽いもので、むしろ今の昼食であるディナーが一番大事な食事だったそう。ただやっぱ朝食ってのは美味いし、これが一種のステータスになって、貴族だけでなくブルジョワジーを筆頭に(ということは近代に入って、ということなのかなあ。時代が書いてなかったように思うけど)一日三食が広まっていったのだそう。
 この食断ちは宗教的・道徳的な意味合いが強かったみたいだけど、そもそも貧しければそれだけ食べられることがなく、王族なんかはみんなでっぷりとしていて、庶民の夢は食べまくることだったってのもある。

・「中世は、客として招かれた場合は、スプーンを持参しなければなかった。客がよっぽどの貴人でもないかぎり、招いた側の主人がスプーンを用意することはめったになかったからだ。[…]スプーンは、鍵のついた食器棚に厳重に保管された。貴重なものだけに、他人のスプーンを失敬したいと思う人も多く、主人側がスプーンを用意したような場合は、客人のひんしゅくを買うことを承知のうえで、食事が終わると、数がかぞえられることもあったという。(P.104)スプーンを帽子にさして持ち歩いたり、「銀のスプーンをくわえて生まれてきた」と言えば金持ちの家に生まれるって意味らしい。
 他の食器としてはフォークはしばらく野蛮なものとしてあまり使われなくて、何より手で食べることが多かったとか。手を汚さずに食べることもまた、上品さを示すことで貴族のたしなみだったんだって。

 まあなんか知らないことばかりで、こういう本を読むと山ほど「へー」とか「ふーん」とか思ってしまってきりがないのでこの辺で。興味を持ったら読んでみてください。面白いですよ。
| 学術・教養的な本 | 15:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
『現代倫理学入門』
評価:
加藤 尚武
講談社
¥ 945
(1997-02)
 私はこの本で、現代の倫理学で議論される原理的な問題と応用倫理学で取り扱われる内容を、明確に描き出したい。それには日常生活で出会う倫理問題を考えることが、現代倫理学の中心問題を理解する早道だと思う。難しい術語や学説の違いを知るより、現代の倫理学者達の議論の中身に入ってもらいたいという気持ちで書いた。何よりもまず、読み物として面白く通読できるよう心がけた。(「あとがき」より)
 えーと、僕の感想を僕以外の人がAmazonで書いてくれています。
良い本だとは思うが…, 2005/12/30
レビュアー: world3 - レビューをすべて見る
類書がないという点では良い本だと思う。倫理学のトピックをこれだけ幅広く扱った本を私は他に知らない。博覧強記で鳴る著者だからこそ書くことのできた本だろう。

でも、倫理学について全く何も知らない人が本書を読んでもいま一つピンと来ないと思う。全体に情報量が多く、その割に各項目の説明があっさりしすぎているのだ。もう少し情報量を減らして、各項目についての解説を詳しくした方が入門書としては良かったのではなかろうか。

講義でテキストとして使用したり、既にある程度倫理学を学んだ人が全体を見渡すために読むためには、とても良い本だと思う。
 いやなんかもう、ほんとそんな感じを受けました。講義ノートを元にしてるとかで内容は整理されてるし、いい本だと思うんだけど、どうもピンとこなかったんですよね。功利主義ってなんだろう、とかそういうところから始まってたりするぐらいの初学者(ですらない?)だし、へえーカントって倫理学の分野でも有名なんだー、とかそんなレベルですけど、単純にちょっと面白そうと思ったところをぶちぶち挙げてみます。

・倫理学の思考実験に「サバイバル・ロッタリー」ってのがあるんだけど、これってSFだなー。

・[最大幸福の原理を、「ドンブリ勘定の功利主義」と解すると]「ひとつの国家の中に多数者と少数者の間の不平等が存在する時、多数決制度はその不平等を解消する方向に機能するのではなくて、むしろ不平等を強化する方向へ機能する。外部から第三の力が働いたり、内部に共通の利益が定着していない限り、このような国家では民主化されたとたんに暴動や紛争が発生することもある。」(P.47)
[さらにアローの不可能性定理をふまえて]「それなのに世界は、民主主義を作りさえすれば、妥当な秩序ができ上がるかのような錯覚から抜け出していない。ユーゴでも、ルワンダでも、いずれは多数決制度が採用されるだろうという前提があるから、少数派は武力で対抗し、多数派は敵の絶滅を目標とする。ここでは民主主義という前提が、軍事的対決を生み出す大きな要因となっている。」(P.164-165)
 なるほど、と思った。漠然と聞いたようなことではあったけど、文章化されてああ、なるほど、と。多数決が特にだけど、民主主義の不可能性はなんとなく聞く話。だけどアローの不可能性定理なんてのがあったのかー。こういうの、思考停止しちゃって理解できないことが多いんですけど、こういう風な証明があるなんてすごいなあ。

・[ミルによれば]「功利主義者が認めるのは、豚の快楽よりはむしろソクラテスの快楽だと主張(質的功利主義)する。両方の快楽を比較するのに十分なだけの教育を与えれば、大衆の文化はソクラテス化する。[中略]自由は真理の発見効率を最大限にするというわけだ。/ 大衆社会現象は、ミルの啓蒙主義的な期待をうらぎる。『両方の快楽を経験した人は高級文化を選択する』のとは反対に、大衆文化は『両方の快楽を経験した人は低級文化を選択する』という構造的要因があることの実験報告である。」(P.62)
 僕は大学で啓蒙されたクチなので、結構啓蒙を信じてるところがあるんだけど、どうなんだろうなあ。それこそカントの啓蒙論があったと思うし、あと教養論とかその辺もちっとは勉強したいなー。

・「価値の実体があるから、交換が成り立つのではなくて、交換があるから、価値という疑似実体が成立する。欲望量があるから、選好が<より大なる効用>を示すのではなくて、選択が行われるから、まるであたかも<より大なる量>が存在するかのような仮象が生まれる。しかし、この仮象は幻影ではない。立派に社会的な実在をもっている。」(P.74)
 この文章は、「どうすれば幸福の計算ができるか」って章に書かれてて、上の指摘は計算・計量こそできないけど、面白いと思いました。あれかこれかで悩み、選択したあとで、あっちのほうがよかったかもしれない、いやこっちでよかったんだ、などと思うことでどちらかが幸福量の多いもののように思う、かー。

・[文化人類学の「互酬性」って言われてる「与えられたら、与え返さなければならない」という原則を正義の原型として示して]「正義の神様は、たいてい秤をもっている。秤の左右は対称形をしている。対象形が正義を思い浮かべる、さまざまな文化に共通の形であったらしい。公平、公正、平等とかの概念が、正義の核心にある。」(P.133)
 どんなふうに共通の形であったのかも示してくれるとうれしいけど、まあそれはこの本の論とはあんまり関係ないので望みすぎかな。ファンタジー好き(ともはやてらいなく言っていいのかどうか、あやういものですが。そういえばブログ名どうしよう)としては、面白い話でした。

・「先人が後人のために木を植えるのは、自分に利益が跳ね返ってくることを期待するからではない。その次元では、彼は相互性を断念している。しかし、その恩を受けたものは、自分の後人に恩を返す。[中略]関係の型は、バトンタッチの相互性――通時的相互性である。現代の世代は制裁(サンクション)を予期して、未来世代に責任を負うのではない。緑の地球を受け取ったのだから、緑の地球を返さなくてはならない。[中略]地球を守ることは、未来の世代に与える恩恵ではない。現代の世代が背負う責務である。」(P.218)
 上の文章は、議論を追っていって、最後の締めにくるものなので、めんどくさそうなところは省いて引いてみたんですけど、この章(「現在の人間には未来の人間に対する義務があるか」)は全体的に面白かったです。現代と未来の世代間の利害関係、共通性などを考察しながら、環境問題においては否応なしに引き継ぐものであるのだから、ということで上の引用になる。ただ、これも功利主義者の批判(功利主義者にとっては「打算的であるという人間の特性に即した規則を作ることが倫理の目的」(P.216))は免れないような気がちょっとする。それでも通時的相互性から世代間の義務を導き出すってのは上手いし、こういってよければちょっとすてきだと思います。

・「遺伝子操作の安全基準を作る場合には、前例がなかった。科学者自身が国際会議を召集して安全基準を定める結果になった。研究室と社会の間に関所がないので、危険な技術は出所である研究室で抑えてもらいたいという要求が出て、それが核兵器に関しては『科学者の社会責任論』となった。科学者の人間としての心情的な責任が問題にならざるをえなかった。この責任追及それ自体が、研究室と社会との間に公共的なチェックの場がないという不在を黙認することで成り立っていた。しかし、そのようなチェックの場を設けたとしても、誰がその関所に立つのか、その専門家の育成の見込みはまったくないという状況である。」((P.242)
 その状況はいまどう変わってるのかは、不勉強なのでわからないのですが、先日NHKで爆笑問題が遺伝子工学? 先端的な生物学なのかな? まあそういう遺伝子操作技術の研究者を訪ねる番組があったんですが、僕は研究(者)とその社会的責任を、研究者はどう捉えているのか、というところを見てました。でもその視点自体が上のように、ずいぶんおかしいものなんですよね。これはSFなんかで出てきそうなテーマだけど、すごいはっとさせられて面白かったです。

 てわけで、だらだら挙げてきましたが、全体的に最後のほうが面白かったかなー。話が具体的なぶん、ちょっとはピンときたのかも。
| 学術・教養的な本 | 00:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
『働くことがイヤな人のための本』
「仕事とは何だろうか?」「人はなぜ働かねばならないのか?」「生きることがそのまま仕事であることは可能か?」―引きこもりの留年生、三十過ぎの未婚OL、中年サラリーマン、元・哲学青年の会社経営者といった人物との架空対話を通して、人間が「よく生きること」の意味を探究する。仕事としっくりいかず、生きがいを見出せない人たちに贈る、哲学者からのメッセージ。
 えーと、カテゴリーで迷いまして、つまり人生哲学的なエッセイなのか、学問としての哲学の本なのか、ということで、まあでもそれで悩むのもどうかと思うし、そして両者がはっきり区別されるかどうかもわかんないし、著者の中島義道はやっぱ哲学者だと思うので、一応こちらに。まあ、学術って感じでも、教養って感じでもありませんが。
 でまあこの本、というかこのタイトルだと、何か「働けない人にカツを入れる」本みたいですが、それを期待するとがっかりするかもしれません。対象はたしかに働けない人、働くのがいやな人、働くことに疑問を持つ人、って感じなんですけど、おそらくそういった「効用」としては、あれこれ思い悩むことは悪くない、悪くないがかといってえらくもないし、えらくなった気がするのはまちがいで、思い悩むことをやめる必要はないが、具体的な行動がなければそれは行き/息詰まり、腐っていくだけだ、ということぐらいだと思います。でもそれが僕はいちばん面白かったですね。意外と、こういう風にちゃんと言ってる本ってない気もします。仕事、または「社会人」と言うときの社会に対して、がつがつやれ、と示すか、逆にベタ降り、ないし適当に折り合いをつけなさい、と示すばかりで。たぶん理不尽を見つめつづけて生きるというのはきついから、という理由なんだろうけど。
 たしかにきついと思うけど、『タイタンの妖女』の記事で引用した以下の文章は共感します。
 私が言いたいのは[中略]身も蓋もない真実である。すなわち、人生とは「理不尽」のひとことに尽きること。思い通りにならないのがあたりまえであること。いかに粉骨砕身の努力をしても報われないことがあること。いかにのんべんだらりと暮らしていても、頭上の棚からぼたもちが落ちてくることがあること。いかに品行方正な人生を送っても、罪を被ることがあり、いかに悪辣な人生を送っても賞賛され賛美されることがあること。
 そして社会に出て仕事をするとは、このすべてを受け入れるということ、その中でもがくということ、その中でため息をつくということなのだ。だから尊いということ、これがなかなかわかってもらえないかもしれないから、これから言葉を尽くして語りつづけようと思うが、私の言いたいことの核心なんだよ。(P.40-41)

 私は人生の過酷な面だけを強調したいわけではない。なかなかどうして、この人生は妙味のあるものだよ。[中略]それは、やはり理不尽の最中で「美しい」としか言いようのない人生を送っている人に会うことが少なくないからなんだ。(P.162)
 もうひとつ面白かったのは、ほとんどやけくそ、負け惜しみのような、だけどやっぱりどことなく共感してしまう以下の辺り。
「生きてきた、そしてまもなく死ぬ」ということは、こうしたすべての仕事を圧倒的に超えた価値をもっており、あえて言えばこうしたすべてを無限に超えた仕事である。とすると、死にぎわに、この真実を覆い隠すことは不幸ではなかろうか? 逆に、人生の最後に、みずからの仕事にまったくすがらずに、剥き出しのまま死の不条理を味わい尽くすことは救いではなかろうか?(P.176)
 自分の人生の中であれをした、これをした、それによって意義があった、何かが残った、と思うことによって死を慰めるのではなく、どうせ死んでしまったら永遠に死につづけてしまうのであって、いっそのこと、生まれてすぐに(たかだか80年ぐらいで)死んでしまうこの不条理に思い切りぶつかるほうがいいのではないか、というのは、たしかになんとなくうなずけるものがあります。

 くだらない話。僕もまあしばらく(というか、結構ぎりぎりの期間)うだうだしてたのですが、その経験から思うのは、アドバイスというのはほとんど無意味で、先のように思い悩むことはどうしても空しい状態になってしまいがちなこと、具体的な行動がなければどうにもならないこと、それをするのもさせるのも難しいこと、そしてこんな経験を語るのもなんだかなあと思うこと、こんな感じでしょうか。そんなことを思いながら読みました。くだらない話終わり。もちろん「じゃあほかの話はくだってるのかね?」というと、そうではないんですけどね。
 こうした経験や話と同様に、人によっては耐えがたいほど青臭く、また無意味なこねくり回しにも見えてしまうこの本ですが、僕としてはどこか捨て置けない感じがしました。そういった青臭さはもうごめんなはずなんですが、それを突き詰めることが、哲学であり、個々の哲学者たちも、神とは、自己とは、他者とは、世界とは、時間とは、死とは……と考えたんだろうな、と思うのでした。
| 学術・教養的な本 | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
『無限論の教室』――無限は続くよどこまでも
評価:
野矢 茂樹
講談社
¥ 756
(1998-09)
「無限は数でも量でもありません」とその先生は言った。ぼくが出会った軽くて深い哲学講義の話

第1週──「無限について講義するのですが、(略)無限ということで、どういうイメージをもっていますか。ええと、あなた、あの、お名前は何というのですか」
「タカムラです」
ふーん。彼女はタカムラさんっていうのか。
「タカムラさん。うん。無限について何かイメージ、おありですか?」
「とくには……」
「『無限』という日本語は知っていますか」
「ええ、まあ」
「じゃ、何か言えるでしょう」
「1番大きい量のことでしょうか」
なぜか、この答えを聞いてタジマ先生はとてもうれしそうな表情をした。
「それ、それはですね、いちばん愚劣な答えです」──本書より
 いやあ、あやふやな理解のまま読み終わった本をあとになって整理してみるのは大変ですね。とかなんとか、はなっから言い訳みたいなこと書いちゃってますけど、『無限論の教室』です。著者は同じく講談社現代新書で『哲学の謎』って本も書いてて、どちらも読みやすく(媚びすぎ、とも言われるほど)、ただ『哲学の謎』はテーマは面白いんだけどそれらからどうさらに踏み込んでいくかってのがあんまり示されてなかったのがちょっと不満でした。その点、こちらのほうが具体的な名前がそこそこ挙がってて親切だったかな。

 最初にちょろっとだけ、論の内容じゃなくて本の作りのこと。『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』もそうだったけど、これまた大学生の学問における興奮みたいなのが描かれてたりして、ちょっと遠い目をしてしまいました。いいなあ、大学。

 でまあ、無限論なんですけど、高校数学をやってない僕でもまあなんとなく理解はできた、かなあ? 第八週の桃金飴の辺りから、正直よくわからなくなっちゃったんですけど、まあなんとなくは。
 最終的には、あの有名で名前だけは知ってた「ゲーデルの不完全性定理」の話になるんですけど、たぶんいちばんの収穫(というところで語るなら)がこれでした。いやもう、まったく知らなかった……のはほとんどの話がそうなんだけど、有名な定理だしそれが読めたので、素直にへえぇーって。

 しかし話が戻りますが、なんか久しぶりに「(つまりこういうことか)という気持ちと、(つまりどういうことなんだ)という気持ちが交錯」(P.228)しました。まあだいたい学術系の本読むときには、行きつ戻りつしながら頭を悩ませてるんですけど、概念操作を頭の中でがんばって追いかけるのが久しぶりで、頭熱くなりました。最後のほうは、上に引用した「ぼく」と同じように、感動しつつ、ついていけてるようないないような、ああ、大学時代を思い出すなあ。いいなあ。

 あと、これもいまだに落ち着いてないけど「『cut off 切り取ること』と『cut into 切り分けること』を区別しなければいけない」(P.30)って話はずっとひっかかるものがあります。いつか何かに結びつくと面白いんだけどなー。

 最後に、やっぱ僕の頭ぜんぜん論理的じゃないんだなと思ったので、論理学を勉強するのもいいなと思いました。なんたってかっこいいじゃないですか、仮定法とか背理法とか排中律とか!
| 学術・教養的な本 | 16:36 | comments(0) | trackbacks(1) |
『時間を哲学する―過去はどこへ行ったのか』
 過去は消え去り、未来は到来する? 過去―現在―未来という時間の常識的理解からは見えてこない「過去と未来の正体」を考究する。

過去は場所ではない―「過去というところ」とはどのようなところなのか。それが漠然とでも空間的な場所のようなものと考えているところに、すべての誤りの源泉があると私は考えますが、ではそうではないとしたらどのような場所なのか。いや、はたして場所なのか。(中略)「過去というところ」はまったく場所ではないことを示すこと、さらに場所であると思うから出来事はその場所に保存されうるのですが、これがまったくの錯覚であることを見抜くこと、この錯覚への陥り方を見とどけること、そしてこの錯覚から芋づる式に出現する世界観を示すこと、以上のことが本書の中心課題であると言ってよいでしょう。――本書より(
 時間についての本です。読んだ動機として、タイム・トラベルへの考察が深まれば、という期待があったのですが、それについての直接的な言及はちょっとだけでした。でもまあ考えるヒントはたくさんあるような気はします。
 この本の流れを理解してる限りでおおまかに言うと、<過去>(想起)を中心とした時間論を展開しています。その<過去>という時間は「どこへも行かず」、その物理的な痕跡をどこかに求めたりせず(この辺りはきっと、科学哲学? って言ったと思いますが、そんな近辺に「クオリア」っていう概念があって、そういう辺りの先端脳科学とかも知っとくと、ちがう見方もできて面白そうだと思いましたが)、もはやないものとして<今ここ>に意味的・言語的なものとして了解(または制作)される、って感じだと思いました。
 書きながら自分でもあやふやなので、読んでいる方もつらいかと思いますが、ええと、「暑い」という現在が「暑かった」という過去へ移行するのは、気温がある点を下回った瞬間ではなく、もはや暑くないいまにおいて、「今日は暑かった」などと考えるとき言語的・意味的に制作される、っていう感じだそうです。あとたぶん同時に(とか書くとまたこんがらがりそうですが)、もはやない過去を通して現在という時間が概念的に把握される(「さっきまで暑かったのに」と思ったとき、暑かった過去を通して、もはや暑くない現在を把握する、みたいな)ってのもあるんだと思いました。ついでに書いとくとこの「現在」というのも、適当に幅のある概念として考えるみたいです。左カラムの「いま読んでいる本」の“いま”のように、別にいまこの瞬間(2007/4/9の16:32何秒か)じゃなくって、この本を読んでいなかった過去と区別されるものとしてのいま、という感じ。

 最近は学術系のものは新書ばっか読んでるので、まあいつもそうっちゃそうなんですけど、もうちょっとやってくれ、というかまだまだほかの論者のものも含めいろんな考察が読みたいと思うところもありますが、面白い本だと思いました。この辺りは、たぶんだけど想起とか記憶とかからリアリティへもつながるんじゃないかと思ってるので、続けて読んでいきたいところ。まあそんなの、たくさんありまくりなんですけど。えへへ。
 では、以下は大きな本筋以外で面白かったところを引用したりしながら。
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| 学術・教養的な本 | 16:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
『ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2』
 読んだのが結構前なので、読み返しながら思ったことをざっくりと切り出しておきます。書き終わってから思いましたが、そしていつものことではありますが、それでもいつも以上にひどい文章だ。なんてこった。ま、まあ、メモだから。でもってメモを公開することを考えてはいけません。いけないいけない。
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| 学術・教養的な本 | 16:47 | comments(0) | trackbacks(1) |
『文学部唯野教授のサブ・テキスト』――本気の冗談
 大学をパロディ化した大ベストセラー作品「文学部唯野教授」のサブ・テキスト。マンモス大学の名物教授が100の質問に答えて、教授の知られざる素顔を披露。裏話、エピソードを満載して、小説以上に面白い話題作。文庫版には、河合隼雄、鶴見俊輔の両氏と著者による「『文学部唯野教授』の特別講義」を収録する。
 カテゴリーを学術・教養にするかエッセイにするか迷いましたが、前者にしておきました。この本はサブ・テキストとあるとおり、『文学部唯野教授』を読んでないとだめ、ってほどでもないですが、やっぱりそちらを読んでからのほうがいいですね。大部分が前作についての文章なので。
 で、なんと五つ星がついてるんですけど、これはひとえに『ポスト構造主義による「一杯のかけそば」分析』がむちゃくちゃ面白かったからです。僕はポスト構造主義的な批評をちゃんと読んでないので、パロディーの中で見逃してる部分が結構あるんだと思いますが、ちょっとでも文学評論とか思想とかの言葉を知ってる人ならかなり面白いんじゃないかと思います。お連れ様は、その辺りを勉強したわけではないすけど、かなり笑ってましたし。まあたぶん前作を読んでればだいじょうぶかなあ。
 とにかく、旅行に持っていったんですけど、宿から海と朝日が見えるみたいなので、早起きして日の出を見たあと、「ポスト構造主義による〜」を読み始めたら面白くってぜんぜん眠れなくなっちゃいましたよ。単純に笑えるだけじゃなくて、もしかしたら『一杯のかけそば』の熱狂(wikipedia これについてはぜんぜん知らなかったんですけど)に対する思いもあったみたいで、その辺りも面白かったです。

 あとは、著者が前作のネタ本として挙げてた、イーグルトンの『文学とは何か』は面白そうだなあとか。結構高いから、図書館で借りて読んでみようかなー。とかそんなことを思いました。
| 学術・教養的な本 | 20:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
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