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『悲しみよ こんにちは』

 予防線を張ります。以下は何の役にもたたない文章です。いや、それは別に今回に限ったことではなくて……という予防線を……

 恥ずかしい内容でも何でも、まあ記録しておいてあとでなんか思うかもしれないし、もはやだれも読んでいないであろうここを好き勝手に使ってもきっといいはずだ!

 

・大学に入って、それまで自分がライトノベル以外をぜんぜん読んでいなかったことをひどく恥じて、努力して読んだ時期があります。そのときにどうしてか、わりあいと日本近代文学より、海外の近代文学のほうが読んでて面白かったのです。いやまあ、そんなちょっと読んだくらいでなにを、というレベルなのですが。多分、海外のほうが(こういう言い方で正しいかどうか)物語として、お話として、ストーリーとして面白い、もっといえば筋書きがあると感じたからのような気がします。

 SFやファンタジーなどのジャンル小説と比べるといわゆる純文学は、お話としては単純なことが多いと思います。不思議に思うのは、じゃあ要素として何が純文学なのか。自然主義なんていう視点とかスタイルとか書き方はきっとそうで、この辺もう遠い記憶でアレなんだけど、見たままを描写することを内面にまで向けて自分の感じたままを書くってのは近代文学っぽい。それともう一個文章それ自体、文体ってやつなのかなあと思うわけです。

 でも文体ってなんなんでしょう、特に本書みたいな翻訳小説の文体ってのは? 解説に「サガンの文体は美しく、スュブチィルで、意味の深い、微妙なニュアンスがある」(P.158)とあったけど(自分が読んだのはかなり古い版なので、もろもろ今は違うかも。スュブチィルの意味が検索してもわからなかったし!)これはどういうことなんだろう。これについて、自分ではどこにもたどり着けなくて、単に不思議に思ってるだけなんだけど、サガンの文体が美しいってのはまず、原語で読めてないからわからないし、翻訳されたとき、文体は相当に翻訳の影響を受けるんだよねきっと、と想像するけど、翻訳された美しい文体ってのは、訳者のよしあしってことでいいのかなんなのか。ううーん、そもそも文を読んで美しいと思うというのはいったい……。

 

・でもさあ、

 ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。その感情はあまりにも自分のことだけにかまけ、利己主義な感情であり、私はそれをほとんど恥じている。ところが、悲しみはいつも高尚なもののように思われていたのだから。私はこれまで悲しみというものを知らなかった。けれども、ものうさ、悔恨、そして稀には良心の呵責も知っていた。今は、絹のようにいらだたしく、やわらかい何かが私におおいかぶさって、私をほかの人たちから離れさせる。

 この書き出しは美しい。なんでなんだろう、説明に苦しむけど、とにかく美しい。

 

・ほんとどうでもいいけど、一番好きなアニメソングは『悲しみよこんにちは』かもしれないくらい好きです。『めぞん一刻』アニメ版を通して見たわけじゃないんだけど、この曲はほんと好き。

 

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| その他の作品 | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
☆『錦繍』
評価:
宮本 輝
新潮社
¥ 529
(1985-05)

 みなみなさま、お久しぶりです。といってもこの文章を読んでいるどなたかあなたの時間にも、このお久しぶりは時間の経ったものになっていると思います。ものすごく久しぶりにブログを更新です。自分のブログなのですが、勝手がわかりません。他人の家であれこれと試しているような居心地の悪さを覚えています。ここをしきりに更新していたときと違って、今はそこまで熱心に手を時間をかけられなさそうなので(すでに言い訳)、簡単に書いていきます。こんなことを書くのもこの10年で何回かあったような……。

 まあ、なんですか、『錦繍』を読み返して、まんまとブログを書いてるわけなんです。ただ何を書こうとしているのかもよくわかりません。でもあてどない文章を書きたくなるような本だってことは言えるのでは。
 初めて読んだのはもう14,5年前のことで、さっぱりすっかり覚えておりません。なのでそれはそれは新鮮な気持ちで再読したのですが、とてもよかった。

 えーと、「とてもよかった」から先が続きません。ツイッターですらリツイートするばかりで、何かを語る機会というか気持ちというかが減りに減ったので、文章の書き方……じゃないな、これだとテクニック的なことになるから……文章化のやり方とでもいうのかがまったくわかりません。単に照れてるのもあるかな。普段書いていると慣れちゃうから。ツイッターを触り始めたときは、冗長な文章を書きがちな自分にはあまり向かないサービスだなと思ったものですが、もはや冗長な文章すら書けなさそうです。

 

 先日喫茶店に行くときに、久しぶりに文庫本を持って出かけたんですが、そのときに読んだのが『スローターハウス5』。これも同じく14,5年前に読んだ本でその読書がとても心地よかったので、次に『錦繍』を手に取りました。

 この本が、送る相手がありつつも、返ってくる見込みのないボールを投げていたように、また、ずっと心に残っていた“おり”が文章化することで少しずつ形がつかめたり、消化できたりしたように、そんな風に文章を書いてみたらどうかなと思ったんですが……まあそれはそれとして。

 とにかくよかったんですよ。通勤で久しぶりに電書じゃなくて本を読んで、何年かぶりに文章を書いちゃうくらい、よかったんです。

 

 最後にとても素敵だと思った一節を引用して終わります。廃墟のようなブログにふらりとやってきたあなたへの祈りです。

 

 「私、一心にお祈りいたします。私は信仰を持っておりませんから、何に祈ったらいいのかわかりません。でも祈ります。そう、この宇宙に祈ります。お商売の成功と、あなたのしあわせな未来を、この果てしない永遠の宇宙に祈ります。」p.194

 

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『まほろ駅前多田便利軒』
 先日、まほろの駅裏に引っ越したので、『まほろ駅前多田便利軒』を読んでみた。なんかもう、舞台が舞台なのでそれだけで楽しい。これはあの辺だなー、とかいちいち考えながら。そんでだいたいわかるのがまた楽しいの。
 たぶん東京を舞台にした物語を東京がわかる人が読んで楽しむのはこういう感覚なんだろうなあと思う。大学でやたら場所と物語についてやる講義が多かったけど、わかってたらもっと楽しかったんだろうなあ。

 前に撮っといた番外地のドラマも見ながら読んでて二度美味しい。というかドラマを最初に見たので、頭の中で完全に二人は瑛太&松田龍平でした。映画版も見たし。

 ついでにドラマと映画の感想も書いておくと……つってもやっぱ舞台が舞台で楽しい、って同じことになっちゃうんだけど、まほろで生まれ育ったお嫁と「あ、あれはあそこだ! 109から芹が谷公園に行く道の!」とかローカルトークしつつ、えらく楽しかったです。瑛太と松田龍平も好きになったなー。松田龍平はあまちゃんにも出てて、どっちもいいキャラなので見てるだけでニコニコしちゃうよ。

 もはやなんの感想だかわかんないけど、お嫁はまほろで生まれ育って、僕は大学時代からまほろをぶらぶらするようになって、結局この街に住むことになったのでした。いいまちだよなあ、まほろって。
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『アドレナリン』
  友人オススメの『アドレナリン』を見ました。TVでやってたやつ。
 最近午後のロードショーを録画して見てるんだけど、なんであんなラインナップなの。時間的に主婦層だと思うんだけど、刺激を求めてるのかしら。たまたま特集がハッスルしてるだけ? 妄想上の主婦こええ。

・とりあえずムチャクチャな映画で笑える。過激なシーンありきというか、たくさん撮りたい! そのための割り切った設定なのかなあと思ったけど、いっそ清々しい。たまらない。

・エピネフリンについて若者が何故か教えてくれるシーンはだいぶ笑った。点媚薬にも入ってると急なアドバイスが飛んでくるんだよな。ダレだよお前は! たぶんジャンキーなのかなああいつも。

・ジャンキーつったら、ドラッグとか毒とか幻覚とかの表現もいかすよね。携帯の着信音とかもいちいち気持ち悪くていい。エピネフリン摂りすぎて、息子をエンラージしながら疾走するシーンの色彩が印象的だった。あそこの(アソコではない)ドクターとのやり取りも好きだ。キレキレのステイサム。

・中華街でやっちゃうシーンも好き。超ハッスルするよ。おっちゃんの”けしらかん!”目線と、おばちゃんの”けしからん! ……でもアラアラ、マアマア!”目線、女学生(っていうとアレな雰囲気)たちの”キャーヤッダースッゴーイ!”目線など、リアクションがいい。

・ステイサム超イケメン。最後のビルに向かうシーンは痺れた。顔つきがもうほんとかっこいいの。トイレで汗を抑えるとことか、いいよなー。

・屋上の銃撃戦はときめいた。なんていうか、ボンクラ系男子の好きそうなシーンだよなあと思う。その後のヘリでの取っ組み合いシーンは高さにゾワゾワして、手に汗握って見ていた! あそこヤバイな! 歳をとって高いところに恐怖を覚えてきたせいか、すげえハラハラした。

・ラストは意外にもグッときた。意外ってシツレイ! だってバカ映画だと思うじゃないか。いやまあそうなんだろうけど。でも、エレベーター登ってる時の幻覚辺りから持ってったけど、内面/個人背景の描写が急に出てきて、最後はなんだか感動してしまったよ。走りっぱなしだったんだなーと。ジェットコースターみたいな映画で、それを人生と重ねていくってのは、言っちゃえばありきたりなんかもしれないけど、これがなかなか味わい深い。



 ためしにこないだ見てツイートした、『アドレナリン』で記事を書いてみたけど……文字の大きさとかなんかよくわからんなあ。なんでちっちゃくなっちゃうんだろう。
 昔、サイトを作ってたとき、ブログに移行したら「なんて楽なんだ!」と思ったものだけど、それがツイッターで「なんて楽なんだ!」となり、どんどんめんどくさいことができなくなってるなあ。でもブログはブログでまとめた文章にするのにはまだいいんだよね、たぶん。どうしたもんか。
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とてもくらい
 最近めっきり朝夕涼しくなり、涼しいを通り越して少し寒く、秋なのか、秋のせいか、もやもやとした気分の毎日。
 読んだ本を一冊ずつ記事にしていけそうにないので並べておきます。

 以下、フィリップ・K・ディックの有名っぽい三作品。
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
 欲望の制御(され)っぷりが面白い。ほとんど完璧なコピーとオリジナルの間にあるものはなんなんだろう。僕はやっぱり少しアウラを信じたい気持ちがある。信じたい気持ちがあるから、アウラがあるんだろうか。
「それこそが啓示なんじゃなくて」
「そんな啓示ならとっくに知ってるさ」(P.214)
 こういう言い回しはいつも好きだ。
☆『ユービック』
 いまのところディックでこれが一番好きかも。最後の揺らし方もいいし、超能力/反能力とか、半生命とかのアイデアも好き。
『暗闇のスキャナー』(読みかけ)
 224ページ辺りからすごく泣けた。ドナの語るベスト・トリップ。ドナの語る夢。優しく穏やかな否定の言葉。いつまでも残る手の感触。ブランキー・ジェット・シティみたいに透き通ったシーン。

☆『第六大陸』(全二巻)/小川一水
 はじめの数年のヒロインと、そのころのヒロインの口調と、ヒロインと主人公の関係がそのころから始まってしまうのと、ヒロインとヒロインの父親の関係がなければもっと好きになったにちがいない。ひたすら夢に突き動かされているのはちょっとまぶしすぎるけど、それはそれでいい。『星虫』って小説を思い出したりした。『プラネテス』(すごく好きな漫画)もそうかな。カバーイラストが『プラネテス』の作者だし。でも小説に向いている(と思う)ディテールの積み上げによるシミュレーション的な感じはこの本ならでは。この部分がとてもよかった。僕らは月に行ける。

☆『99%の誘拐』/岡嶋二人
 岡嶋二人は自分の中でちょっとした「伝説」。この伝説というのは、記憶が怪しくなるぐらいには前のことで、しかもいいタイミングでなにかを受容して、あとあとになって「あれはよかったよなー」と思い出すものごとの自分用語。小説に限らず、漫画でもアニメでもゲームでもなんでもよくて、もう飲食店とか腕時計とか毛抜きにまであって、伝説の幅はとても広い。
 まあそれはそれとして、岡嶋二人の『クラインの壷』は学生時代夜行列車で関西に向かっていたとき読んだ本。眠気が吹き飛び、朝まで一気に読んだ。その伝説には及ばなかったけど(もちろん、新たな伝説にならない限り伝説には及べない)、やっぱり岡嶋二人は面白かった。

『壁抜け男』/マルセル・エイメ
 とにかくひたすら無茶をしてしまう本。ひとつ不思議なことがあって、そこからじゃあ、ああしてみるか、こうしてみるか、と行けるところまで吹っ飛んでいくのが面白かった。「サビーヌたち」の無茶ぶりは最高。
「七里のブーツ」だけちょっと毛色がちがうけども、これは終わりがとてもいい。素敵な話。

 あと、ここ一月で結構映画を見ました。
☆『CUBE2』☆『CUBE ZERO』『SAW』……えぐい。『CUBE』シリーズのほうが面白いと思った。『CUBE』は作られるたびにひどくなっていく、と酷評されることが多いけど、同じような理不尽の繰り返しをしてもしょうがないし、作るならこれでよかったとは思う。僕は結構楽しめた。まあ一作目がやっぱり一番いいけど。
『ナルニア国物語』……個人的に指輪には遠く及ばなかった。なんたって王の帰還の合戦(前の)シーンがあるからなあ、あっちにゃー。
『DEEP BLUE』……ドキュメンタリーって結構好き。でもこれはきれいだし、すごいと思うけど、NHKの「プラネット・アース」って番組のほうが好き。ナレーションでいろいろ解説してくれるから。
『ハウルの動く城』……木村拓哉の声が気にならなかった。なんであんなに気になる、だめだ、変えろ、と言われていたのかいまいちわからずじまい。(近年の)ジブリっぽい声だったし、原作は知らないけど少なくとも映画のキャラクターにはあっていた声だと思う。それよりはヒロインの声が最初違和感あるけど、声なんて慣れちゃうよね(あーあ)。
『TAXI』……僕は映画俳優・監督の名前も顔もぜんぜんわからなくて、ていうか映画がまったくの苦手分野(というのも変か)で、ちゃんと『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も観たことがないんだけど、そんな僕でもなぜか名前を知っているリュック・ベッソンが監督、じゃなくて、プロデューサーとかそういう感じのあれだったような。疲れてたから、こういうすごくおばかな感じの映画でよかった。
『ブギーマン』……どきどきするような沈黙から「ドン!!!!!」っていう驚かせ方は、されるとちょっと悲しい。いや、当然驚いちゃうんだけど、だけどなあ。
☆『スティング』……ハインラインの『夏への扉』を思い出すような、話の筋の上手さ。絡み合った伏線をすとーんと落としてくれる。詐欺の仕方が隣の部屋でのラジオ放送とか、すごい牧歌的というかなんというか、いいなあと思った。あと、始まってからしばらくは個々人の顔の見分けができなかったのはちょっとした笑い話。

 てわけでなんだかよくわからないけど、まったく書けないと思ってたのに適当にキーボードを叩き始めたら、とりあえず字数は出せたな、と思いました。もっとすっきりと楽しく生きていきたいなあ、と思う今日この頃です。
| その他の作品 | 19:03 | comments(7) | trackbacks(0) |
『暗黒童話』
暗黒童話
暗黒童話
乙一

 なんだかすごく久しぶりに乙一の本を読みました。4年ぶりぐらいなんじゃないかな。古本屋でぐるぐる回ってたら(いつもそんなんばっかり)、100円で売ってたので買いました。すいません、あまりお金に余裕がないんです。

 あらすじはこんな感じ。女子高生の「私」は事故に遭って記憶を左眼を失ってしまう。移植された左眼は、さまざまなきっかけで眼球の前持ち主の記憶らしきものを私に見せる。記憶を無くす以前の私と、それを求める周囲の人間とに疎外され、またそれゆえに左眼の記憶とその元の持ち主の世界に親しみを覚えていく私は、左眼の記憶を頼りに持ち主の住んでいた町へと足を向ける。そこでは奇妙な事件が私を待っていた……。

 もういきなりネタバレ含みます。
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| その他の作品 | 17:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
☆『博士の愛した数式』
博士の愛した数式
博士の愛した数式
小川 洋子

 書店の店員なんだし読んどこうかと思って買いました。えへへ、ごめんなさい。しかも古本で買いました。えへへへへ。

 とりあえずなんか言っといたほうがいいような感があるので(妄想)言っておくと、別に泣きませんでした。でもよかったです。ところで「泣けたかどうか」が重要っぽいのはなんなんでしょうね。結構不思議です。
・6/10追記。大塚英志が(たしか)『物語消滅論』で、小説が泣くための刺激(物)・サプリメントになっている、みたいな指摘をしていたけど、それ以外にも思うところがある。僕自身、上であんなことを書いていながらも(いるところからもわかるように?)、ある小説を語るときに、泣けたとか感動したとかよかったとか悪かったとかしか吐ける言葉がないのだ。つまりは批評の言葉を持たないということなんじゃないかと思う。さしあたっては非常に素朴な体験した体感した言葉(いやー、泣けた。感動した!)しか言えないことは歯がゆい。せめて、たくさん本を読んでそれらを並べて考えて言葉を吐いてみるぐらいのことはしてみたいんだけど……。

 ロマンチックな数学の話だと思ったんですが、数学を突き詰めて考えていけばロマンチックにならざるをえないんじゃないかな、と思いました(江夏の背番号とか友愛数とかの話のロマンチックとは違う意味でです。それらのエピソードももちろんよかったですけど)。掘り下げて、掘り下げていったときに見えた神の織り成す文様としか思えないものに対して、不思議さや何故が抑えきれないと思うんですよね。ちょっとというかだいぶ違うことではあるんだろうけど、宇宙を科学的に解析していった結果、どうしても「始まりの前」や「終わりの後」、あるいは「全ての外」なんてものを考えざるをえないのと同じように、そこにはいわゆる文系的な哲学や神学が混ざるんじゃないかな、と。
 先日記事を書いた『一度死んでみますか?』でこんな文章がありました。「(“非線形フック微分方程式の特異解の構造”を研究している)彼がある日、藤沢で路上ライブをやっている青年を見て、思わず嫉妬したそうです。へたくそなミュージシャンの周囲に十五人ぐらいの聴衆がいて、自分の論文をわかってくれる人の数より多かったからです。」(P.181) これはまあ単純にちょっと笑っちゃう話ですけど、この数学者という孤高な研究者の姿は魔術師の姿と重なって見えたりします。ダンセイニの『魔法使いの弟子』の師匠は理解者の数で嫉妬、つまり名声欲は強くはないだろうけど、解説で訳者の荒俣宏がこんなことを書いている。
 <師匠>のように、この世の善と悪を超越して、ひたすらに魔道にはげむ賢者こそ、真の魔法使いの名に値するのではありますまいか。(P.358)

 確かに師匠はラモン・アロンソの影を、やや騙すような形で奪ってはいるけれど、しかし彼はしっかりと代償は払う、つまり学問を授けているし、師匠の興味はラモン・アロンソを害することではなく、いまだ知らぬ魔術の領域へとひたすら向けられている。現代の話だとクローン技術なんてのも、科学者の興味は倫理的な問題ではなく「それが可能かどうか」という点に向けられているように、師匠もまた魔術に対してそのような姿勢をもっているよう。まあここでいきなり数学者と科学者をくくっちゃってるのはご愛嬌で許してちょうだいませ。
 んでまあなにが言いたいかといいますと、数学者って魔法使いだよなーってこと。だってほら数学者にしか見えない(人知を超えた存在・観念を信じちゃいそうな)世界の法則があって、それを解析したり操ったりするなんて、もうまさに魔法じゃありません? 強引かなー。
| その他の作品 | 17:15 | comments(0) | trackbacks(2) |
『東京物語』
東京物語
東京物語
奥田 英朗

 本屋の店員なんだし読んだほうがいいんじゃないかという妄想と、とりあえず奥田英朗の本は家にあったな思い読んでみました。ところでぼくが結構好きだった大学の教授は、作家の名前を音読みにする癖があったのか、今の今まで「おくだえいろう」だと思ってました。あぶねー。あぶねーってかえいろうって口に出して人に話しちゃってたよもう。
 というわけで一応あらすじ。
1978年4月。18歳の久雄は、エリック・クラプトンもトム・ウェイツも素通りする退屈な町を飛び出し、上京する。キャンディーズ解散、ジョン・レノン殺害、幻の名古屋オリンピック、ベルリンの壁崩壊…。バブル景気に向かう時代の波にもまれ、戸惑いながらも少しずつ大人になっていく久雄。80年代の東京を舞台に、誰もが通り過ぎてきた「あの頃」を鮮やかに描きだす、まぶしい青春グラフィティ。

 80年代を中心にした「あの日たち」のリアリティは、82年生まれの僕にはあんまりないんですけど、青春小説としてのリアリティはがっつり感じました。名古屋から東京に越してきた「春本番 1978/4/4」はまさしく自分が引っ越してきたときの感覚が生々しくよみがえってきちゃいました。「今朝は実家の天井を見ていたことを考え、不思議な気がした。/東京と名古屋は、遠いような近いような、ただ、すぐには帰れないところに自分はいるんだなと思った。時間もお金もかかるのだ。」(P.82) 自分も群馬とかいう微妙な距離だったなー。

 読書したい時の波(このところまとめて更新してる本は、大体みんな五月に読みました。もりもりの気分だったんです。そういうのってありません?)が来ていたのもありますが、スピーディに一気に一冊読みきりました。なんでそうなったかっていうと、まあ面白かったとかわりかし読みやすかったとかもあるんですけど、主人公の久雄が、各話で腹を減らし東京を走り回るっていう物語のペースがそうさせたのかなと思いました。久雄の空腹とか疲労とかを読んでるこっちも背負っちゃって、久雄が人心地つくとこっちもほっとするというような、そんなペース。
 そんなわけで目の回るような「あの日たち」の物語でした。
| その他の作品 | 16:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
『僕は模造人間』
僕は模造人間
僕は模造人間
島田 雅彦

 大学在学中に、ある教授が「うちの学生が好きな本で、よく卒論の題材になる」とややうんざりしながら紹介したのがこの本でした。先日読んでみて、まあそうかもなあと思いました。

 ぼくはあんまり「おれおれおれおれ!」と自己主張してくる人や物が好きじゃないんですけど(といいながらブログを書いててさあ……)、この小説もそんな感じっぽくてあんまり好きじゃない、かと思いきや、なんとなくちょっと好きな本でした。今でいう「ネタ」にどうしても走ってしまう自意識過剰な主人公が、「自分ってほんとだめなんだよ。でも実際のところすごいんだよ。まあでもやっぱだめなんだけどさ」から「まあなんでもいいや」になるのがいいのかなあ。「人間失格」かと思ったら、合格も不合格もなかったよみたいな。あとはそうだなあ、コピーがオリジナルを求めて必死こいたけど、結局そういうのはどうでもよかった的な話かなー、みたいなことをつらつら考えながら読みました。
| その他の作品 | 02:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
『センセイの鞄』
センセイの鞄
センセイの鞄
川上 弘美

 何度か書いているような気がしますが、僕は影響を受けやすい人間で、誰か(もちろん誰でもというわけじゃないけど)が何かを絶賛していると、ほほうと思って手を出したくなります。この本は大学でちょっと話した人が、この本の論がやりたくて文学系のゼミを選んだ、と言っていたので、ほほうそこまで思うとはいい本に違いないと思って読んでみました。んでまああらすじ(この最初の展開がいつも居心地悪い)。
駅前の居酒屋で高校の恩師と十数年ぶりに再会したツキコさんは、以来、憎まれ口をたたき合いながらセンセイと肴をつつき、酒をたしなみ、キノコ狩や花見、あるいは島へと出かけた。歳の差を超え、せつない心をたがいにかかえつつ流れてゆく、センセイと私の、ゆったりとした日々。谷崎潤一郎賞を受賞した名作。

 特に言えることもないけれど、とりあえず、よかったです。いい本でした。解説で言われているポスト・モダンな感じは正直よくわからなかったけど、文章の感じがとにかくよかった。さらりとしていてセンセイとツキコさんの距離感・空気感のような。
 一個前の記事で「小説っぽいのより物語っぽいほうが好きです」みたいなこと書いたけど、たまにはこういう読むというより、なんだろうなあ、呼吸するような文章(まあこれもどっかで聞いたような言い方だけど、もちろん)もいいもんですね。ってか、そんなこと言っといて「サリンジャー好き」とか思っているんだから、ぼくの言っていることは本当にあてにならないというかその場の思いつきというか。えっへっへ。
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