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『ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2』
 読んだのが結構前なので、読み返しながら思ったことをざっくりと切り出しておきます。書き終わってから思いましたが、そしていつものことではありますが、それでもいつも以上にひどい文章だ。なんてこった。ま、まあ、メモだから。でもってメモを公開することを考えてはいけません。いけないいけない。
・大学に入るころ、02年前後からライトノベル的な作品を読まなくなりました。最初の理由は単に、大学で勉強するにあたって自分には教養として足りない部分が多すぎると思ったことからでした。で、次にライトノベルを下げることでそれ以外を読む自分を上に置く、というとてもわかりやすい状態になりました。あとは「あのころをライトノベルなんか無駄にしてしまったじゃないか!」という八つ当たり的な憎み方とかしちゃったりして。そんでもって、そういうのもむなしいなと思い直してもう一度手を出してみたりしました。が、だめなんだよなあ……どうしても、つらい部分がある。
 その部分ってのはイラストだったり語り口だったり媚びた感じだったり(ハーレム状態みたいなこと)とかなんとか考えてたんですが、本書にこんな文がありました。
 おそらく、いまの多くの読者が「ライトノベル的」という言葉で名指し、ときに抵抗感も示している対象は、物語の内容でも、またレーベルの特性でもなく、この想像力の環境そのものなのではないだろうか。(P.49)
 「この想像力の環境」ってのは、「キャラクターの共有」(Aというキャラクターが二次創作や関連商品においても矛盾なく受け入れられること)や「キャラクターのデータベースの共有」(「特定のキャラクターの外見的な特徴[中略]がどのような性格や行動様式[中略]に結び合わされるのか、かなり具体的な知識を共有している」(P.45)こと)って感じのもので、先に書いたイラストや語り口うんぬんってのは、特に後者の共有のほうのデータベースがだめなんだろう、ということだと思います。それでも、「なんでだめなのか、だめになってしまったのか」と考えると難しいんですけど。

・また上と結構同じような話になってしまうけど。本書の作品分析を読むと取り上げられている諸作品は、もんのすんごく面白そうに思える。また、人に「面白いよ」と勧められたものもあったりした。で、実際に『ひぐらしの鳴く頃に』なんか体験版が配布されてるんでやってみたりした。だけどなあ、だめだったんだよなあ……。トランプゲームをやってるシーンがあって、「何なんだこのシーンは。意味あんのかよ。早く終われよ。本筋を、物語を追わせろよ!」と、思ってしまう。
 いまでもああいう日常的なシーンがどんな意味があったのか、とても気になってるんだけど「繰り返される雛見沢」という感じなんだろうか? だとするとあのあたりのシーンが苦痛だった場合まったく仕掛けを味わえないのか、と思ってしまうけど、それよりなにより「本筋」的な「物語」を期待している時点で、ある程度(というかかなり?)本書で行われているような作品受容・読解は難しいんじゃないかと思ってしまった。やっぱ上の共有から(というか、共有を考えて)得る知見はあるのだろうし、大きいのだろうし。
 本当に本書での読みは面白くて、『ひぐらしの〜』だけじゃなくて『All You Need Is Kill』も『One』も『Ever17』(これなんか特にそうだ)も、すんげえ面白そうなのに、なのに手を出してみたら、絶対受け付けられないとわかってる(『All You〜』はいけるかも、と思ってちょっと期待してもいるけど。あまり行き過ぎるとだめなんだとは思う)。そんな苦しみがあってなあ……。
 しかも、いままで生きてきた環境からして「ライトノベル」的な想像力から脱しきれるわけないんだよな、自分は。別に脱する必要もないんだろうけど、半身を置きながらそんなことを考えるからよけい悲しくなる。そんな半端な自分にすごく響いたのが『サマー/タイム/トラベラー』だったんだけど、まあそれはいつかまた。

・だいぶ個人的なことばかり書いてきちゃったけど、もうちょっと本に戻って。Bパートの「文学 機廚いちばん面白かったかなー(兇麓造脇匹鵑任覆て、取り上げられてる本を読んでから読もうと思ってます)。ある程度知ってたことから、まったくはじめて読んだことまでいろいろと面白いところはあったんですけど、やっぱり『日本近代文学の起源』は読まなきゃなあと、とにかく思いました。その上でまた読み返したいな、と。特に「透明」な言葉というものについてがそうで、やっぱそれは仮想の透明さだと思うし、その点も踏まえて「半透明」も読み直したいし、そこからファンタジーやSFについても考えてみたい。
| 学術・教養的な本 | 16:47 | comments(0) | trackbacks(1) |
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『ゲーム的リアリズムの誕生』をめぐって(1)
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| 愛の三つ巴 | 2007/05/18 2:27 PM |
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