2017.02.26 Sunday
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指輪物語シリーズ作品リンク 1 2 3 4 5と6 7 8 9 10
三つの指輪は、空の下なるエルフの王に、
七つの指輪は、岩の館のドワーフの君に、
九つは、死すべき運命の人の子に、
一つは、暗き御座の冥王のため、
影横たわるモルドールの国に。
一つの指輪は、すべてを統べ、
一つの指輪は、すべてを見つけ、
一つの指輪は、すべてを捕えて、
くらやみのなかにつなぎとめる。
影横たわるモルドールの国に。
ところで奇妙な一事は、これはビルボが最初に自分たちの仲間に語った話と違うという点である。その話では、もしビルボがなぞなぞ遊びに勝てば、かれに贈り物をするとゴクリが約束したことになっている。(P.31)ここで面白いのは同ページに「赤表紙本の原本には、周知のようにいまだにこの通りに記載されているし、その幾本かの写本および抄本においても同様である。」と書かれている点です。『指輪物語完全ガイド』(しかしこのタイトルはあまりにガイド本的で挙げるのがちょっとはずかしいです)の「『ホビットの冒険』改定の歴史」によると、『ホビットの冒険』の初版では実際このように、つまり贈り物として書かれていたらしいです。『指輪物語』の執筆の中で、前作のゴクリとの指輪をめぐるやりとりの改訂が必要になったとか。そういう経緯をビルボの語った話に反映させたんですね。この辺りもこの作品のメタフィクション的な部分が見えて面白いところだと思います。
「その背後には、指輪の造り主の意図をも越えた、何か別のものが働いていたじゃろう。[中略]ビルボはその指輪を見つけるように定められていた。ただし、その造り主によってではないと。そうだとすれば、あんたもまたそれを所有するように定められていることになる」(P.125-6)。ときどき垣間見える、この運命観みたいなものは、エル(=創造主で全能神なんだけど、あんまり現世に関心がない)の意思を示すのかとも思うんだけど、僕としてはトールキンの手に渡るまで伝承されてきた“この赤表紙本”=『指輪物語』や『ホビットの冒険』(『シルマリルの物語』とかはこれに含まれるのかな? なんかちがうように思ってたけど)の物語の意思のみたいなものように考えてます。いろんなところで、特にサムやガンダルフなんかがその傾向が強いんですけど、登場人物を“物語内の人物”として捉える視点が出てくるし。この本だったらたとえば、ガンダルフのセリフで
「わしの心の奥底で声がするのじゃ。善にしろ悪にしろ、かれには死ぬまでにまだ果たすべき役割があると。そしてその時が至れば、ビルボの情は多くのものの運命を決することになるかもしれぬと――」(P.135)とか。エルの意思=トールキンの意思としてもいいけどトールキンの言う「赤表紙本を英語に翻訳した」っていうスタイルが僕は好きだし、物語の力みたいなものを信じたいんだよなあ、結局。まだその辺は勉強していくところなんだけど。
「エルフたちはおらが考えてたのとはまるっきりちがいますだ――とても歳をとっていて若く、とても陽気で悲しげで、とでもいったらいいのか」(P.199)というのがあるんですが、この“陽気”というところをつい忘れてしまうんですよね。てかどうして後世のファンタジーのエルフ像は陽気さがなくなってしまったんだろう。ちっちゃい妖精みたいなキャラの特徴には陽気さがあるんだけどなあ。まあともかく、中つ国を去り行くエルフたちがただ悲痛なだけじゃなく、ただ陽気なだけじゃなく両方を持っているってのは結構世界観的に重要な気がしました。