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☆☆『新版 指輪物語〈1〉旅の仲間 上1』
指輪物語

三つの指輪は、空の下なるエルフの王に、
 七つの指輪は、岩の館のドワーフの君に、
九つは、死すべき運命の人の子に、
 一つは、暗き御座の冥王のため、
影横たわるモルドールの国に。
 一つの指輪は、すべてを統べ、
 一つの指輪は、すべてを見つけ、
 一つの指輪は、すべてを捕えて、
  くらやみのなかにつなぎとめる。
影横たわるモルドールの国に。
シリーズ作品リンク     5と6 7 8 9 10
とても便利な「中つ国Wiki

LotRO開始に合わせて、指輪物語再々読です。作品についての説明は必要ないと思うので特にしません。てかそんなのいままでしたことあったかなあって感じですね。いつもあらすじを書いてませんしね、へへへ。評価についても、「僕は大好きです」以外にどうこう言うことはないです。
 てゆかなんでしょう、一つ前の記事でも書いたんですが、やたらと書きにくくてしょうがないです。あまりにも大きな物語だからかなあ……。

 いつものネタバレ話へつづく前にひとつだけ。二回目に読んだときも思いましたが、序章のホビット族についての記述は再読のときに面白い内容でした。逆に、よく言われることですけど、ここでつまずく人は『ホビットの冒険』を読むか、映画版を見ちゃうか、いっそ飛ばすか(「四 指輪の発見について」だけは読んだほうがいい気もするけど)して、本編をある程度読み進めてから読むと面白いと思います。

 てわけで、あとはネタバレ的な話を書くつもりですが、『指輪物語』の感想に限っては再読としてのものなので、全編通して読んでから感想とか『シルマリルの物語』のとことかも含む可能性があります。その辺ご注意くださいー。まあ引用するのはそれぞれの本の文章となると思いますが。名詞を調べる方は「中つ国Wiki」をどうぞー。
 
 
 
 
 
・『ホビットの冒険』でビルボが指輪を手に入れたくだりについて、最初ビルボはゴクリから「贈り物」としてもらったという話をでっち上げてることが何度か触れられてます。
 ところで奇妙な一事は、これはビルボが最初に自分たちの仲間に語った話と違うという点である。その話では、もしビルボがなぞなぞ遊びに勝てば、かれに贈り物をするとゴクリが約束したことになっている。(P.31)
 ここで面白いのは同ページに「赤表紙本の原本には、周知のようにいまだにこの通りに記載されているし、その幾本かの写本および抄本においても同様である。」と書かれている点です。『指輪物語完全ガイド』(しかしこのタイトルはあまりにガイド本的で挙げるのがちょっとはずかしいです)の「『ホビットの冒険』改定の歴史」によると、『ホビットの冒険』の初版では実際このように、つまり贈り物として書かれていたらしいです。『指輪物語』の執筆の中で、前作のゴクリとの指輪をめぐるやりとりの改訂が必要になったとか。そういう経緯をビルボの語った話に反映させたんですね。この辺りもこの作品のメタフィクション的な部分が見えて面白いところだと思います。

・P.107の「待った」。結構いろんなところで言われてるけど、話の展開の遅さがあって旅の仲間上1、つまり文庫版一冊目だと終わってもまだホビット庄にいるとか、物語の開始時から17年経ってから出かけるとか、まあちょっとしたギャグみたいに言われたりして、話が大きく動き出すまでかなーり待つわけですが、スケールとしてはゴクリ(スメアゴル)の指輪の入手から500年以上経ってるし(物語の現在時は第三紀の3018〜9年で、スメアゴルが指輪を見つけたのが、同じく第三紀の2463年のこと)、それ以前のサウロンのひとつの指輪を鋳造するための暗躍とかまで含めても本当に何もかもぎりぎりになるまで、ピンと張り詰められたものが一気に切れるように、力を蓄えたバネが一気にはじけるように、物語は怒涛の勢いで進む、のが全9巻の話なんだよなあ、とかあらためて思いました。

・[一つの指輪が失われたあとゴクリ→ビルボ→フロドと渡っていったことを指して]
「その背後には、指輪の造り主の意図をも越えた、何か別のものが働いていたじゃろう。[中略]ビルボはその指輪を見つけるように定められていた。ただし、その造り主によってではないと。そうだとすれば、あんたもまたそれを所有するように定められていることになる」(P.125-6)。
ときどき垣間見える、この運命観みたいなものは、エル(=創造主で全能神なんだけど、あんまり現世に関心がない)の意思を示すのかとも思うんだけど、僕としてはトールキンの手に渡るまで伝承されてきた“この赤表紙本”=『指輪物語』や『ホビットの冒険』(『シルマリルの物語』とかはこれに含まれるのかな? なんかちがうように思ってたけど)の物語の意思のみたいなものように考えてます。いろんなところで、特にサムやガンダルフなんかがその傾向が強いんですけど、登場人物を“物語内の人物”として捉える視点が出てくるし。この本だったらたとえば、ガンダルフのセリフで
「わしの心の奥底で声がするのじゃ。善にしろ悪にしろ、かれには死ぬまでにまだ果たすべき役割があると。そしてその時が至れば、ビルボの情は多くのものの運命を決することになるかもしれぬと――」(P.135)
とか。エルの意思=トールキンの意思としてもいいけどトールキンの言う「赤表紙本を英語に翻訳した」っていうスタイルが僕は好きだし、物語の力みたいなものを信じたいんだよなあ、結局。まだその辺は勉強していくところなんだけど。

・サムのセリフで
「エルフたちはおらが考えてたのとはまるっきりちがいますだ――とても歳をとっていて若く、とても陽気で悲しげで、とでもいったらいいのか」(P.199)
というのがあるんですが、この“陽気”というところをつい忘れてしまうんですよね。てかどうして後世のファンタジーのエルフ像は陽気さがなくなってしまったんだろう。ちっちゃい妖精みたいなキャラの特徴には陽気さがあるんだけどなあ。まあともかく、中つ国を去り行くエルフたちがただ悲痛なだけじゃなく、ただ陽気なだけじゃなく両方を持っているってのは結構世界観的に重要な気がしました。

・関連リンク
 Ciel Bleuさんの「『指輪物語』J.R.R.トールキン
 Fantasia Labさんの「旅の仲間 ―指輪物語 1部/The Fellowship of the Ring
 Leon's Armor Shopさんの「Tolkien, J. R. R. - J・R・R・トールキン
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