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☆☆『新版 指輪物語〈3〉旅の仲間 下1』
シリーズ作品リンク     5と6 7 8 9 10
とても便利な「中つ国Wiki

 文庫版3巻です。
 この巻では、ながーいエルロンドの会議があって、裂け谷にしばらくいるのでまあ結構明るめですね。エルロンドの会議はいろいろと背景が語られて楽しいです。読むたびに、「へえー、そうだったのかー」と思いますけど、もう少しいい記憶力があったほうがいいのかも。

 では、以下はネタバレてゆか、なんだかよくわからない感想ですが、『指輪物語』に限っては再読としてのものなので、全編通して読んでから感想とか『シルマリルの物語』のとことか映画版のこととかも含む可能性があります。まあ、上に書いたようにあんまり覚えてないので結局その巻ごとの感想がほとんどですけど。
 
 
 
 
 
・ブルイネンで大水を起こしたのはエルロンドです。いや、普通にそう書いてあるんですが、映画だとアルウェンががんばってたので。僕は映画『ロード・オブ・ザ・リング』は邦題がなんだかなあとは少し思いますが、基本的にすごく好きだし、SEEならなおよしと思いますが、やっぱりいくつかは納得がいかないところがあります。アルウェンが活躍するところやアラゴルンがちょっとうじうじしてるところ……ではなくて、そこは実は全然構いません。じゃなくて映画で、アルウェンが登場するときアラゴルンに背後から剣を突きつけるのとか(ありえないと思いませんか?)、アラゴルン、ボロミア、ギムリ、レゴラス、ましてやエルロンドやガンダルフまでもが一緒になって、わーわーと怒鳴りあい、会議がまったくまとまらないのがすんごい納得いかないんですよー! えええ、なんで、エルロンドやガンダルフまでそんななの? って思いませんか。
 ついでにそのシーン、
 かれは急に非常な不安にとらえられました。まるで何か判決が下されるのを待っているような気持ちでした。その判決がとっくに予知されているものの、一方では結局宣告されずにすむのではないかと空しい希望をつないでいるように。[中略]おしまいにかれはやっとの思いで口を利きました。そして自分の声を聞いて、まるで別の意志が自分の小さな声をかりてしゃべっているのではないかといぶかしく思いました。(P.135)
 って感じで、これまた「西境の赤表紙本」というものを感じさせるようなメタ物語な感じちらっと見えてて、それは映画においても、フロドの声を聞いたガンダルフが、悲しさややるせなさをにじませながらやはりという顔をしていたところで表されてると思いますが、だったらなおさらあんなわーわー騒ぎまくってるより静かな会議の行き止まりでフロドが立ち上がるほうが、個人的には好きだなあ。わーわーいう人たちが指輪に映って、音が消えていく演出も悪くはないんですけどねえ。

・上でもちょっと書いた、メタ物語的なこと。
 「やれ、やれ、ゴクリはいなくなったか。」と、ガンダルフがいいました。「もう一度あいつを探している時間はない。あいつはやりたいことをやるに違いない。しかしいつかあいつは、自分でもサウロンでも予測しない役割を果たすことがあるかもしれんぞ。(P.101)
 こういう物語から片足を出したようなセリフって、ガンダルフにもありますが、二つ上の引用であるようにフロドや、ビルボや、そして忘れてはならないサム(P.142の、「それで、どこで暮らすんでしょう? おらがちょいちょい考えるのはそのことですだ。」ってセリフとか)、つまり「西境の赤表紙本」を書いたホビット顕著なんですよね。そう考えるとP.141-142の三人の会話は、「いま読んでいるこの本の著者たちがこの話をいかに終わらせようかと話している」わけで面白いですね。まあそういうのとか、あとは書かれている時点の視点、つまり指輪戦争が終わったのちの視点とか、あとは詩に「小さい人ふるいたつべければ。」(P.75)とかがあって、なんというか上手くいえませんが、物語であることを自覚した物語、だと思います。って、それがメタ物語ってことか。筒井康隆の作品とかでも、そういうのが好きなんだよなあ。
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