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『悲しみよ こんにちは』

 予防線を張ります。以下は何の役にもたたない文章です。いや、それは別に今回に限ったことではなくて……という予防線を……

 恥ずかしい内容でも何でも、まあ記録しておいてあとでなんか思うかもしれないし、もはやだれも読んでいないであろうここを好き勝手に使ってもきっといいはずだ!

 

・大学に入って、それまで自分がライトノベル以外をぜんぜん読んでいなかったことをひどく恥じて、努力して読んだ時期があります。そのときにどうしてか、わりあいと日本近代文学より、海外の近代文学のほうが読んでて面白かったのです。いやまあ、そんなちょっと読んだくらいでなにを、というレベルなのですが。多分、海外のほうが(こういう言い方で正しいかどうか)物語として、お話として、ストーリーとして面白い、もっといえば筋書きがあると感じたからのような気がします。

 SFやファンタジーなどのジャンル小説と比べるといわゆる純文学は、お話としては単純なことが多いと思います。不思議に思うのは、じゃあ要素として何が純文学なのか。自然主義なんていう視点とかスタイルとか書き方はきっとそうで、この辺もう遠い記憶でアレなんだけど、見たままを描写することを内面にまで向けて自分の感じたままを書くってのは近代文学っぽい。それともう一個文章それ自体、文体ってやつなのかなあと思うわけです。

 でも文体ってなんなんでしょう、特に本書みたいな翻訳小説の文体ってのは? 解説に「サガンの文体は美しく、スュブチィルで、意味の深い、微妙なニュアンスがある」(P.158)とあったけど(自分が読んだのはかなり古い版なので、もろもろ今は違うかも。スュブチィルの意味が検索してもわからなかったし!)これはどういうことなんだろう。これについて、自分ではどこにもたどり着けなくて、単に不思議に思ってるだけなんだけど、サガンの文体が美しいってのはまず、原語で読めてないからわからないし、翻訳されたとき、文体は相当に翻訳の影響を受けるんだよねきっと、と想像するけど、翻訳された美しい文体ってのは、訳者のよしあしってことでいいのかなんなのか。ううーん、そもそも文を読んで美しいと思うというのはいったい……。

 

・でもさあ、

 ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。その感情はあまりにも自分のことだけにかまけ、利己主義な感情であり、私はそれをほとんど恥じている。ところが、悲しみはいつも高尚なもののように思われていたのだから。私はこれまで悲しみというものを知らなかった。けれども、ものうさ、悔恨、そして稀には良心の呵責も知っていた。今は、絹のようにいらだたしく、やわらかい何かが私におおいかぶさって、私をほかの人たちから離れさせる。

 この書き出しは美しい。なんでなんだろう、説明に苦しむけど、とにかく美しい。

 

・ほんとどうでもいいけど、一番好きなアニメソングは『悲しみよこんにちは』かもしれないくらい好きです。『めぞん一刻』アニメ版を通して見たわけじゃないんだけど、この曲はほんと好き。

 

JUGEMテーマ:読書

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