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☆『ライ麦畑でつかまえて』
ライ麦畑でつかまえて
ライ麦畑でつかまえて
J.D.サリンジャー, 野崎 孝

 『十月の旅人』の記事でも書きましたが、ぼくは大学に入るまで「文学」っぽい作品を一切読んでいませんでした。読んでいたのはいわゆる「ライトノベル」というやつで、そんなわけでいまはみょうにその辺りを避けてるのがまた子供っぽい反動なんでしょうけど。
 初めて読んだ文学っぽい本は、村上春樹の『カンガルー日和』でそのあとに『風の歌を聞け』を読みました。村上春樹を薦めてくれた人に「こういう文学作品ってどういうところがいいと思うの?」と聞くと、「特になにがどう、とは言えないんだけど、読んだあとに『ああ……』って、上手く言えないけど、『ああ……』って少し悲しいような感じがするのが好きなんだと思う」と答えてくれました。そしてぼくも『風の歌を聞け』を読んで、「ああ……」と思ったのです。
 それから、ぼくの中で「文学っぽいものというのは、読んだあとにあの感じがある本だ」というおかしな思い込みが生まれました。そしてこの本もそんな本です。
 2005年のクリスマス前に読んだけど、いまでもシャワーを浴びているときなんかにこの本(サリンジャーの本は、なんだかあとになって思い出すことが多い)のことをふと思い出します。ストラドレーターに殴りかかった夜、セントラル・パークの小さな湖にいる鴨、妹がどんな風にニューヨークの街を駆け抜けるか、ポケットのなかで割れてしまったレコード、世界中の卑猥なラクガキ、雨の中の回転木馬。そんな場面場面がふとよみがえります。
 もとより、ある本、本に限らずある何かに対して言えることなんて全然なくて、それがちょっと悔しいから何を書いてあるのかさっぱりわからないような本を読んでみたりしているんだけど、こういう本については本当に何も言えません。「自分が感じたこと」なんてのを考えてみても、誰かの言葉・評価・批評が先か、後かもわからないですし。ただまあ言うだけ言ってみると、たぶん文章がすごく好きです。脱線(本線があったのだろうか?)しまくりで、くどくて、どうでもよさそうなことにすごくこだわっていて、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア−序章−』のなかには「括弧の花束」なんて言葉も出てきてますけど、そういうところがすごく好きです(ついでにぼくの文章がくどいのは、意識して真似してるとかいうわけじゃないけど、そういうのが好きだからそうなっているんじゃないかな)。

 しかしつくづく書評(と言うのもつらくて「モドキ」をつけて誤魔化してるけど)というのは難しいですね。他の方のブログ書評を読んでいると「この本読んでみたいな」と思わされるんですけど(いまは―いねむり どくしょ―さんとLeon's Armor Shopさんのレビューにかなり影響を受けてます。もっと言えば音楽はfizz pop or bubblegum perfume foreverさんだし、ゲームはんじゃめな本舗のホームページさんだなあ。それぞれこれらの方々と重なりながらもずれているところがどこなのか、ってところなんでしょうね、きっと)、ぼくのだとあんまりそういうのなさそうだし、分析できるほど学がなく、比較できるほど本(もの)を知らないし……い、いかん、暗くなってきた。

   ちょっとだけ『これが現象学だ』の記事に、つづく。
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